盛 曼(せい まん、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将[1]。
孫休の時代に建平郡の太守となる[2]。
蜀滅亡後の264年2月に陸抗・歩協・留平と共に旧蜀の将軍である羅憲の守る永安城を包囲して攻撃したが、羅憲の抵抗の前に半年たっても城は落ちず、司馬昭が援軍に送った胡烈の軍勢が来たため、やむなく撤退した[1]。その後の記録は無く[1]、『三国志演義』にも登場しない。