歩協
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歩 協(ほ きょう、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。父は歩隲。弟は歩闡。子は歩璣・歩璿。
生涯[編集]
247年に父が死去したため、爵位を継承して[1]孫権に仕える。249年に魏の王基が夷陵に侵攻した際には防戦に務めた[1]。西陵都督・撫軍将軍となり、264年の蜀滅亡に乗じて陸抗・留平・盛曼と共に巴東に侵攻するが、旧蜀の将軍である羅憲に敗れた[1]。没年不明だが、歩協の死後は実弟の歩闡が継いだ[1]。
後年に歩闡が反乱を起こして陸抗に討たれた際、歩璣・歩璿ら歩協の遺児らは西晋の援軍を得るために人質として洛陽に送られていたため、族滅を免れている[1]。
『三国志演義』には登場しない。