猿啄城
ナビゲーションに移動
検索に移動
ウィキペディアの生真面目ユーザーたちが猿啄城の項目をおカタく解説しています。 |
猿啄城(さるばみじょう)とは、現在の岐阜県加茂郡坂祝町勝山にかつて存在した日本の城である。
室町時代前期の応永年間の頃に築城されたと見られる城である。美濃国が混乱に陥るにあたって城主が転々と入れ替わったが、織田信長の美濃侵攻が開始されるとこの城はその家臣の河尻秀隆によって落とされた。この際、信長は落城を喜び幸先よしとして、勝山城と改名した。功績により河尻がそのまま城主となるが、天正3年(1575年)に秋山虎泰から岩村城を奪うと、河尻は岩村城主に移封されてこの城は廃城となった。
現在は標高265メートルの城山に展望台があり、景色を一望することができる。