富山県の被差別部落

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富山県の被差別部落 (とやまけんのひさべつぶらく)とは、富山県被差別部落の特徴や被差別部落に関する事例、部落解放運動同和教育について説明する。

歴史

1910年4月17日富山県上新川郡の被差別部落の男性が漁民3名に対する傷害罪逮捕された。鱒2尾を売ってくれなかったという小さな事件であるが、富山地方裁判所が被告側の申し立てた9名の証人を却下したために、男性側の弁護士裁判官忌避したために新聞の注目を集めることになり、5月21日に富山日報に掲載された。日頃から男性の態度に村内では腹を立てているものがおり、「こん畜生とうない奴」と言われ、袋だたきにされたということである。また、石川県産婆養成学校の試験に合格した竹島みいに対して、父親が「あんな穢れた職に就くとは何事か、あれはそういった人たちがやるものだ」とみいに暴行を加えるなど、産婆が被差別部落の職業であることが覗える。七尾市で実習を行ったみいはこの地に「オンボウマチ」という産婆の被差別部落があることを知る。

  • これに対して、1920年8月25日富山日報は「特殊部落民の向上を希望す」という論説で「日本国民は講和会議において人種の差別的撤廃を要求したにもかかわらず内地においては新平民に差別的に待遇していれば彼の提案は没却されて終ふものである」と、国際社会で差別的撤廃を叫びながら、国内では差別を行うという矛盾を指摘している。

1975年富山地方裁判所で富山県内の女性に対して県外の男性とその母親にそれぞれ500万円を支払うよう命ずる判決が出された。男性と女性は1972年婚約したが、女性が被差別部落出身と知ると妊娠している女性に中絶を強要し、それと並行して別の女性と交際し始めたにも関わらず関係を続けて妊娠させ、一方的に婚約破棄して別の女性と結婚した。妊娠していた女性は翌年に男児を出産した。

参考文献

外部サイト

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