熊本藩

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熊本藩(くまもとはん)は、1600年から1871年まで存在した。52万(加藤家の時代)のちに54万(細川家の時代)、藩庁は熊本城熊本市)に置かれた。支藩に熊本新田藩宇土藩。家老分領に八代領(八代城)。

前史[編集]

熊本藩は豊臣政権下で佐々成政豊臣秀吉越中を召し上げられて、事実上肥後に転封されたことで原型ができた。成政は土豪の反乱で秀吉によって改易され、加藤清正がその後肥後の領主となった。

歴代藩主[編集]

加藤家[編集]

外様 52万石 (1600年 - 1632年)

  1. 清正(主計頭、侍従[注釈 1]
  2. 忠広(肥後守、侍従)

細川家[編集]

外様 54万石 (1632年 - 1871年)

  1. 忠利(越中守、左少将)
  2. 光尚(肥後守)
  3. 綱利(越中守) - 治世時に元禄赤穂事件が起きる。
  4. 宣紀(越中守)
  5. 宗孝(越中守) - 江戸城で乱心した[注釈 2]板倉勝該により惨殺。
  6. 重賢(越中守、侍従)
  7. 治年(越中守)
  8. 斉茲(越中守)
  9. 斉樹(越中守)
  10. 斉護(越中守、侍従)
  11. 慶順(越中守、左中将)
  12. 喜廷(右京大夫、侍従)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 江戸時代に従五位上・肥後守。
  2. 板倉氏は「人違い」ではなく「遺恨」としている。

関連項目[編集]