滕脩
ナビゲーションに移動
検索に移動
滕 脩(とう しゅう、? - 288年)は、中国の三国時代の呉から西晋にかけての政治家・武将。字は顕先(けんせん)。別名は「滕 循」(とう じゅん)。子は滕並[1]。
生涯[編集]
荊州南陽郡西鄂県の出身[1]。呉の第4代皇帝・孫皓に仕えて広州刺史に任命される[1]。後に中央に召喚されて西鄂侯に封じられ[2]、執金吾に任命された[1]。司空に任命される直前に郭馬の反乱が起こり鎮圧に赴くが、平定する前に西晋の侵攻を受けたので、直ちに西晋軍の迎撃に向かう[1]。しかし巴丘で孫皓が西晋に帰順したことを知り、自らも西晋に帰順して広州牧・持節・都督の元の官職を保証されたまま、武当侯に封じられ[2]、安南将軍に任命されて南方の統治を任された[1]。288年に死去[1]。
『三国志演義』では滕 修と表記されて最終回に司空として登場し、西晋の侵攻の際に孫皓から善後策を求められた[1]。