郭馬
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郭 馬(かく ば、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。
生涯[編集]
合浦郡太守の脩允に仕える私兵隊長であったが、脩允が死去して兵士が別々に配属されることになったため、その処置に不満を抱いて桂林に拠り[1]、279年夏に呉に対して反乱を起こした[2]。広州督の虞授を殺し、自ら都督交広二州諸軍事・安南将軍を称した[2][1]。この郭馬の反乱を知った孫皓は「天が呉を滅ぼそうとしている」と述べたという[2]。
この反乱には執金吾の滕脩と交州牧の陶璜が鎮圧に当たるが、鎮圧できない内に西晋による呉侵攻が始まり、呉は滅亡した[2]。
郭馬が西晋に対してその後、どのような処置をされたかなどの記録は無い[2]。