洞泉寺 (大和郡山市)
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洞泉寺(とうせんじ)とは、現在の奈良県大和郡山市洞泉寺町15に存在する寺院である。宗派は浄土宗。山号は霞渓山。開山は宝誉。
概要[編集]
安土桃山時代の天正13年(1585年)、豊臣秀吉の実弟・豊臣秀長は兄の計らいで大和郡山城主に任命され、100万石を領する大大名となる。同年、三河国の霞渓山洞泉寺住職の宝誉が平端村の長安寺において布教活動を開始するが、秀長はこの宝誉に帰依して、開山を要請して郡山に洞泉寺を建立した。
江戸時代前期から中期に差し掛かる万治年間に、本堂内に安置する本尊の阿弥陀如来および両脇侍立像が再建され、これは国の重要文化財に指定されている。なお、この像は元々鎌倉時代中期の著名な彫刻家・快慶による造立であると寺伝では伝えられている。境内鐘楼前には巨大な「石の船」があり、地蔵堂に祀る光明皇后勅願による垢摺地蔵が入っていた湯槽石と言われているが、諸説あり定かではない。
境内に隣接している源九郎稲荷神社は、開山の宝誉が夢のお告げを受けて寺の護法神として祀ったものと伝わる。この源九郎とは源平合戦で有名な武将・源義経を指しており、義経の生涯を守護したという伝説が伝えられている。義経の存在もあり、近在の人々から厚い信仰を受けている。