河野広躰

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河野 広躰
こうの ひろみ
性別
年齢 75
時代 江戸時代幕末) - 昭和時代前期
生年月日 元治2年1月15日1865年2月10日
生誕地 陸奥国・三春藩
死没日 昭和16年(1941年1月24日
肩書き 政治活動家・実業家
国籍 日本国旗.png日本
親戚 伯父:河野広中

河野 広躰(こうの ひろみ)は、明治時代前期の政治活動家。明治時代中期以降は実業家に転身した。

略歴[編集]

陸奥国三春藩出身。伯父に政治家河野広中がいる[1]

父が早くに没したため、伯父に育てられ、その影響を強く受けた。明治12年(1879年)に高知県立志社で学び、東京に帰京してからは自由民権運動で伯父と共に活躍した[1]

明治15年(1882年)の福島事件では関与を疑われるも無罪となる。しかし明治17年(1884年)の加波山事件連座強盗及び警官の殺傷に関与したとして逮捕された。しかし、逮捕時で19歳だったことから未成年であるとして無期徒刑になり、明治27年(1894年)に出獄。その後は移民会社を起こし、晩年まで植民事業に取り組んだ[1]

昭和16年(1941年)1月24日に死去[1]。75歳没。

Wikipediaでは明治時代の人物で執筆の協力依頼[1]が出されているが、「河野広」となっており、全く存在しない人物の執筆を依頼している。まさにWikipediaの信頼性をよく物語る好例であり、お笑い百科事典と言えるであろう(笑)。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c d 「日本史人物辞典」(日本史広辞典編集委員会編、山川出版社2000年。P352

参考文献[編集]