池田城 (阿波国)

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池田城(いけだじょう)とは、徳島県三好市池田町に存在したのことである。池田町の吉野川の右岸、上野台地東端に築かれた中世の城である。現在は城跡が残る。

概要[編集]

池田城は承久3年(1221年)に阿波守護に任命された小笠原長清によって築城された。長清は小笠原氏の本拠である信濃に戻り、息子の小笠原長経守護代として在城する。しかし長経も信濃に戻り、その弟の小笠原長房が阿波守護となって在城した。以後、池田城は阿波守護の居城となり、小笠原氏は阿波国内の要所に一族を配置して阿波支配の強化に努める。しかし鎌倉幕府が崩壊し、南北朝時代になると小笠原氏は南朝に味方したため、北朝に味方した細川氏に攻められて降伏を余儀なくされ、室町幕府が成立すると守護職は細川氏に奪われてしまい、小笠原氏は細川氏の家臣になった。康永2年/興国4年(1343年)に小笠原氏は姓を三好氏と改姓する。

戦国時代になると池田城は白地城主であった大西氏の支配下に入る。江戸時代徳島藩主となった蜂須賀氏阿波九城の一として家臣の牛田掃部尉を城番として兵力300を預けて守備を任せた。江戸幕府が発令した一国一城令により、池田城は寛永15年(1638年)に廃城となった。

現在は城跡に池田幼稚園が存在する。またわずかに石垣と、小笠原長清が本国の信濃から諏訪大明神を勧請して城の鎮守とした諏訪神社がある。

アクセス等[編集]