清水門

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清水門(しみずもん)は皇居(旧江戸城)の門の一つである。現在は北の丸公園の入り口のひとつとなっている。高麗門及び塀と櫓門で構成される出桝形式である。

概要[編集]

清水門は北の丸の東門であり、創建年代は不明である。伊達家『御当家紀年録』の記載から1620年(元和6年)にはすでにあったことは確実である。1624年(寛永元年)に安芸広島藩主浅野長晟により再建されたが、1657年(明暦3年)の大火(振袖火事)で類焼したと考えられている。現存する清水門は、高麗門の扉の肘壷金具の刻銘によれば、1658年(万治元年)に再建されたものである。

名称の由来[編集]

清水門の名称の由来は、家康入府による江戸城築城より以前から中世に清水寺が建っていたから、あるいは清水が湧き出す土地であったなど諸説ある。

清水家[編集]

門内に御三卿のひとつの清水徳川家(清水家)の屋敷があり、その表門として清水門が使われた。江戸時代の北の丸東側は御三卿の1つである清水家の屋敷地であり、その入口となる表門として使われていた。清水邸跡は現在は武道館となっている。

構造の役割[編集]

内堀通りから清水門の高麗門に入る道は土橋となっている。これは右側の牛ケ淵と左側の清水濠の水位が異なるため、土橋にダム機能を持たせ水をせき止めるためである。高麗門から入ると正面に石垣があるが左側には石垣がなく、清水濠に面している。侵入した敵を枡形の対岸の石塁から直接攻撃したり、清水濠に追い落とすための構造と言われる。

解体修理[編集]

1964年7月、300年ぶりに解体修理され、文化財保護委員会の手で工事が進められた[1]

諸元[編集]

外部リンク[編集]

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