武田犬千代
ナビゲーションに移動
検索に移動
武田 犬千代(たけだ いぬちよ、大永3年(1523年)[1] - 享禄2年2月19日(1529年3月28日))は、戦国時代の甲斐武田家の一族。
生涯[編集]
名の犬千代は戌千代とも言う[1]。武田信虎の3男。武田信玄の弟、武田信繁の兄。他の兄弟に竹松、信基、信廉、松尾信是、宗智、河窪信実、一条信龍、信友、勝虎、定恵院、南松院、禰々、花光院、菊御料人、亀御料人、今出川晴季室ら。
享禄2年(1529年)2月19日にわずか7歳で夭折した[1]。信虎は家臣の跡部宮内丞を派遣し[2]、1ヵ月後の3月24日に高野山で供養が行なわれた(『武田御日牌帳』)。戒名は芳巌伊春大禅定門(『十輪院武田家過去帳』)。
生母は大井の方と推定されており[2]、この場合は信玄や信繁の同母兄弟となる。