榎本藩

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榎本藩(えのもとはん)は、江戸時代前期のわずかな期間だけにおいて下野国都賀郡榎本(現在の栃木県栃木市大平町榎本(旧下都賀郡大平町)に存在した。居城は榎本城

概要[編集]

慶長10年(1605年)、本多忠純が榎本に1万石を与えられたことにより、榎本藩が立藩した。忠純は江戸幕府初代征夷大将軍徳川家康の側近として大いに権勢を誇っていた本多正信の3男で、本多正純の実弟である。正純は下野国小山藩主だったので、兄の西側の所領に弟が入封したことになる。後に忠純は大坂の陣に参戦して武功を挙げたので、下野国皆川に1万8000石を新たに加増された。

寛永8年(1631年)に忠純は家臣に殺され、第2代藩主は甥の政遂(正純の弟で忠純の兄である本多政重の子)が継承した。寛永15年(1638年)に政遂は死去し、その子の犬千代がわずか3歳で第3代藩主を継承するも、寛永17年(1640年)5月に5歳で夭折。当然、継嗣は無く無嗣断絶により榎本藩は改易となり、同時に榎本藩は廃藩となった。

歴代藩主[編集]

本多家

譜代 1万石→2万8000石

  1. 忠純(ただずみ)
  2. 政遂(まさもろ)
  3. 犬千代(いぬちよ)