桐山城
ナビゲーションに移動
検索に移動
桐山城(きりやまじょう)とは、現在の鳥取県岩美郡岩美町浦富にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
現在の田後港の背後にある標高203メートルの紀伊ヶ山の頂上に存在した山城で、別名を木山城(きやまじょう)という。
築城年代は不明だが、記録では永禄年間に尼子氏再興のために活動を開始した山中幸盛が、尼子勝久を擁立した際にこの城に迎えたとされていることから、永禄前後に存在した城と見られている。
天正年間になると織田信長が勢力を拡大し、信長は羽柴秀吉を派遣して尼子再興軍と協力させた。その際の戦争でこの城は落とされ、秀吉は垣屋光成を桐山城に入れた。しかし、光成の子・垣屋恒総は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して戦後に自害を余儀なくされ、領主としての垣屋氏は滅んだ。
江戸時代になるとこの城は鳥取藩の支配下に置かれ、藩主家である池田氏の重臣・鵜殿氏によって管理された。
現在、城跡の山頂には本丸跡と推定される削平地があり、南東麓、浦富陣屋跡の西には鵜殿氏の墓も存在する。