林義郎

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林 義郎(はやし よしろう、昭和2年(1927年6月16日 - 平成29年(2017年2月3日)は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員第1次中曽根康弘内閣厚生大臣宮澤喜一改造内閣大蔵大臣日中友好会館会長を務めた。

生涯[編集]

山口県下関市貴船町出身。東京大学法学部を卒業し、旧通商産業省を経て、昭和44年(1969年)の衆議院議員選挙で旧山口1区から初当選し、以後11期連続当選を果たす。税制や財政通で知られ、第1次中曽根康弘内閣で厚生大臣を、宮澤喜一改造内閣で大蔵大臣を務め、さらに自民党税制調査会長などを歴任し、超党派の日中友好議員連盟会長も務めた。

平成元年(1989年)の自民党総裁選挙に立候補するが、海部俊樹に次点で敗れた。

平成15年(2003年)の衆議院選挙で自民党が比例代表に73歳定年制を適用したため、出馬を見送ることになり、そのまま政界引退する。

平成29年(2017年)2月3日午後8時、多臓器不全のため東京都内の医療施設で死去した。享年89。

系譜[編集]

林家は、享保年間創業となる醤油醸造業・大津屋(下関市)や、下関市を中心に展開するバス事業者・サンデン交通の経営を行う地元の名士である(2013年11月の時点で、大津屋の代表取締役社長は実弟の長男・林俊作である)。