林通政
(林新次郎から転送)
ナビゲーションに移動
検索に移動
林 通政(はやし みちまさ、? - 天正10年10月25日(1573年11月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田家の家臣。通称は新次郎(しんじろう)あるいは新三郎(しんさぶろう)。諱は光時(みつとき)とも言われる。子に市助。
生涯[編集]
史料によって通政の血縁関係は異なっている。林通忠の子で林秀貞の娘婿、あるいは林秀貞の従兄弟とある。ただ、『信長公記』には通政のことを「一長」(いちおとな)と記録しており、秀貞の子で無いにしても、その継嗣だった可能性が極めて高いと見られる。
秀貞が政治家・奉行として織田信長に仕えたのに対し、通政は武勇に優れて戦場で働く武将として信長に仕えている。『武家事記』では武勇に優れた勇士と評している。信長に従い、元亀元年(1570年)6月の北近江出陣に従い、さらに同年9月の石山本願寺との戦いにも参加した。
天正元年(1573年)9月、信長の第2次伊勢長島一向一揆攻めに参戦し、信長が長島から撤退する際に殿軍を任され、善戦したものの一揆勢に攻められて戦死した。