李通 (文達)
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李 通(り つう、168年 - 209年)は、中国の後漢末期の武将。曹操の家臣。字は文達(ぶんたつ)[1]。子に李緒・李基。孫に李秉。曾孫に李重・李尚・李矩。玄孫に李式。
生涯[編集]
江夏郡平春県の出身[1]。最初は朗陵一帯を支配していたが、軍勢を率いて曹操に降って家臣となり、振威中郎将に任命される[1]。張繍との戦いや官渡の戦いで功績を挙げたため、汝南郡太守に任命される[1]。208年の赤壁の戦いが終結すると曹仁の救援で功績を立てたが209年に42歳の若さで病死した[1]。功績が多いため200戸を追贈されて合計400戸となり、文帝の時代に剛侯と諡された[1]。
『三国志演義』では史実より延命されているが、馬超との戦いで馬超相手に一騎討ちをして数回打ち合っただけであっさりと馬から突き落とされて戦死した。