木曾義利
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木曾 義利(きそ よしとし、天正5年(1577年) - 寛永17年(1640年)?)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。木曾義昌の子。大名としての木曾氏の最後の当主。母は武田信玄の娘・真理姫[1]なので信玄の外孫に当たる。子に木曾義辰。弟に木曾義成と木曾義通。
生涯[編集]
木曾義昌の長男。幼名は仙三郎。父が天正18年(1590年)12月に隠居したため、家督を相続した。しかし粗暴な振る舞いが多く、叔父の上松義豊と不仲で、この義豊を殺害したことにより、慶長5年(1600年)に徳川家康により改易され、さらに徳川氏から追放された[1]。
その後の義利の活動は定かではないが、寛永16年(1639年)かその翌年に死去したと言われる。享年は63[1]か64。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『三百藩藩主人名事典2』藩主人名事典編纂委員会 編、1986年。新人物往来社