望月信頼

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望月 信頼(もちづき のぶより、天文13年(1544年[1]) - 永禄4年9月21日1561年10月29日))は、甲斐武田氏の一族で戦国時代武将武田信繁の長男で武田信豊の兄、武田信玄の甥に当たる。武田氏に臣従した信濃の名族・望月氏を継ぐ。

生涯[編集]

仮名は三郎[2]。信濃国佐久郡の国衆・望月氏の名跡を継承して望月三郎と称し、望月信雅養子となる[2]。父・信繁と共に伯父の信玄に仕えた。

永禄4年(1561年)9月10日の第4回川中島の戦いにも参加したが、同年9月21日に死去した。享年18[2]。一説に永禄7年(1564年)9月21日に死去とする説もある[2]。法名は喜翁正悦大禅門[2]

子女は無かったため、実弟の望月信永が跡を継いだ[2]

脚注[編集]

  1. 天文16年(1547年)生まれとも。
  2. a b c d e f 柴辻俊六 『武田信玄大事典』新人物往来社、2000年、P82

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六 編 『武田信玄大事典』(新人物往来社、2000年)ISBN 4-404-02874-1