望月信雅

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望月 信雅(もちづき のぶまさ、? - 文禄3年10月14日[1]1594年11月25日)?)は、戦国時代武将甲斐武田家家臣

生涯[編集]

仮名は源三郎[1]。官途は左衛門佐[1]。受領名は遠江[1]。出家後の法号は印月斎一峯[1]武田信玄に仕えて信濃小県郡の先方衆を務めた[1]

信玄の弟・武田信繁の長男の信頼、3男の信永らを相次いで養子に迎えるが、前者は川中島の戦い(第4次)の年に早世、後者は長篠の戦いで戦死した[1]。このため信繁の次男・武田信豊の娘を養女にして新しい婿を迎えて名跡を相続させようとしたが、その娘はまだ幼少で成人するまでの処置として信豊が望月氏の名代を務めた[1]。法名は印月宗伝禅定門[2]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P234
  2. 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P235

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3