有賀 備後守(ありが びんごのかみ、? - 天正10年2月16日(1582年3月10日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。
信濃国諏訪郡有賀郷の土豪である諏訪西方衆の一族と推測される。
武田勝頼に仕えた。『信長公記』によると、天正10年(1582年)2月、織田信長による武田征伐が開始されると、武田勝頼は信長に通じて離反した木曾義昌を成敗するために武田信豊を大将とした討伐軍を差し向け、2月16日に鳥居峠の戦いで武田軍は木曾軍と戦って大敗し、備後守はこの時に戦死したという。