曹茂

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曹 茂(そう ぼう、生没年不明)は、中国後漢末期から三国時代にかけての皇族。父は曹操。母は趙姫[1]。異母兄弟に曹昂文帝曹彰曹植らがいる。

生涯[編集]

曹操の息子で爵位こそ万歳亭侯、平輿侯、乗氏公などを歴任するが、傲慢で強情な性格のため曹操から愛されなかった上、兄の文帝の時代にも曹操の息子でありながら一人だけ王になれなかった[1]。甥の明帝の時代にようやく聊城王に封じられ、さらに曲陽王に封じられた[1]。ところが242年に異母兄の曹徽が死去した際、喉の痛みを理由に哭泣の礼を取らなかったので500戸を削減された[1]244年に楽陵に国替えされるが、子供が多いことを理由に削減された領土を返還された上に700戸を加増され、最終的に5000戸の領邑を有した[1]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e 小出『三国志武将事典』P183

参考文献[編集]