曹徽

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曹 徽(そう き、? - 242年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての皇族。父は曹操。母は宋姫[1]。異母兄弟に曹昂文帝曹彰曹植らがいる。子に曹翕

生涯[編集]

叔父で朗陵哀侯・曹玉の跡を継いで217年に歴城侯に封じられた[1]。以後、廬江王・寿張王・寿張県王となる[1]225年に東平に国替えされた[1]。ところが234年に部下に寿張県の役人を鞭打たせていたことが所管の役人を通じて明帝に上奏されたため、詔勅により1県500戸を削減された[1]。しかし同年のうちに返還されている[1]。242年に死去[1]。子の曹翕が跡を継いだ[1]。諡号は東平霊王である[1]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i 小出『三国志武将事典』P183

参考文献[編集]