日出城
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日出城(ひじじょう)は、現在の大分県速見郡日出町にあった城である。
概要[編集]
日出駅の西およそ1キロ、別府湾岸の断崖上に存在した平山城である。暘谷城(ようこくじょう)、青柳城(あおやぎじょう)、浮津城(うきつじょう)とも言われた。
慶長6年(1601年)に豊臣秀吉の正室・高台院の実兄である木下家定の3男・木下延俊が義兄の細川忠興の助力を得て築城したのが起源である。以後、明治維新まで木下氏の居城、日出藩の藩庁として機能した。
現在は日出小学校の敷地となっており、校門前の松並木や堀がかつての城の面影である。また、校庭の隅に木下氏の3代目である木下俊長が鋳造させた「日出城の時鐘」が残されている。本丸跡には楼閣の礎石が現存し、南に別府湾を隔てて大分市街を臨み、大分百景の1つに数えられている。なお、本丸の崖下で獲れるカレイを「城下カレイ」と呼び、同町の特産の1つになっている。
また、大正9年(1920年)には高浜虚子がここを訪れ、「海中に、真清水わきて、魚育つ」と刻んだ句碑が海岸べりの城下公園に建立されている。
なお、西2の丸跡には安政5年(1858年)に城内東2の丸に建てられた藩校・致道館が移築されており、大分県から史跡に指定されている。