新渡戸琴子
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新渡戸 琴子(にとべ ことこ、明治23年(1890年)11月23日 - 昭和60年(1985年)9月23日)は、日本の女性。新渡戸稲造・新渡戸萬里子夫妻の養女。
略歴[編集]
新渡戸稲造・萬里子夫妻には長男の新渡戸遠益以外の子供ができなかったので、明治39年(1906年)に新渡戸一家と京都で生活を始めた。大正4年(1915年)、正式に新渡戸夫妻の養女として入籍する。新渡戸の第一高等学校校長時代の愛弟子である河合栄治郎との結婚が大正5年(1916年)春に計画されていたが、同年秋に破談になった。大正6年(1917年)9月末、軽井沢で新渡戸の姉・河野喜佐の次男・新渡戸孝夫と結婚する。孝夫は琴子より17年前に新渡戸夫妻の養子になっており、また従兄妹同士であり、養子同士の結婚でもあった。2人の間には新渡戸誠、加藤武子が生まれているが、昭和5年(1930年)5月に離婚している[1][2]。
晩年までに新渡戸稲造に関するインタビューに答えたり、思い出を語ったりしている。昭和60年(1985年)9月23日に94歳の長寿をもって没した。墓は東京都府中市の多磨霊園にある[2]。