新渡戸孝夫

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新渡戸 孝夫(にとべ よしお、明治25年(1892年5月27日 - 昭和10年(1935年12月18日)は、日本男性ジャーナリスト新渡戸稲造の甥で養子

経歴[編集]

新渡戸稲造の姉・河野喜佐の次男。新渡戸稲造が札幌農学校教授の頃から一緒に住んでいたという。新渡戸稲造の1人息子である新渡戸遠益早世したため、明治31年(1898年7月養子になった。

新渡戸稲造の渡米に同行し、自らもアメリカで大正5年(1916年)まで教育を受け、ハバフォード大学で学んだ。新渡戸稲造の姉・安村峯の孫娘である新渡戸琴子と大正6年(1917年9月末に結婚している。琴子も稲造の養女になっていたので、養子同士で結婚したことになる。英字新聞ジャパン・タイムズの編集長になり、星製薬の渉外担当通訳として働いている。妻の琴子との間には新渡戸誠加藤武子が生まれているが、昭和5年(1930年5月離婚している。

昭和10年(1935年)12月18日に43歳で死去。墓は東京都府中市多磨霊園にある。