播磨三木氏(はりまみきし)とは、日本の氏族で、武家である。
伊予国の守護大名であり戦国大名であった河野氏の支流で、河野直通の5男・通近が三木と改姓したのが起源とされる。通武の時代に英賀城主となるが、戦国時代に織田信長の命令で中国地方の平定を任された羽柴秀吉率いる織田軍の侵攻を受け、天正8年(1580年)に落城した[1]。
なお、播磨三木氏は上記の三木氏以外に、播磨国の守護大名であった赤松満則の子・元祐を祖とする播磨三木氏も存在する。元祐は尼子氏の家臣となって石見国に移り、孫の祐盛の時代に吉川氏に仕えて、江戸時代には岩国藩士となった[1]。