指宿城

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

指宿城(いぶすきじょう)とは、現在の鹿児島県指宿市西方にかつて存在した日本である。別名を松尾城(まつおじょう)。

概要[編集]

鹿児島湾岸にある小さな丘の上に存在していた山城である。

この城は平安時代から鎌倉時代に移る時期の建久年間(1190年 - 1199年)に当地の地頭としてやって来た指宿忠光が築城したと伝えられている。忠光から6代目の指宿忠篤の時代に南北朝時代の動乱期を迎えるが、忠篤は島津貞久と共に足利尊氏に従った。しかし延元2年/建武4年(1337年)に後醍醐天皇三条泰季薩摩国に下向させると、忠光は南朝に属したため、島津貞久と敵対することになった。

以後、指宿氏と島津氏は敵対を続けたが、指宿正忠の時代に島津元久に攻められて指宿城を失い、元久は阿多時成奈良美作守を入れて守らせた。以後も指宿氏は島津氏と戦うが、島津忠国の時代に遂に島津の軍門に降って家臣となっている。

江戸時代になると指宿城は薩摩藩外城の1つとされ、ここを中心にして狩集・中福良・大園原など谷山街道に沿って麓、つまり武士の集落が形成されて薩摩藩の防衛が固められていた。

現在、城の遺構はほとんど残っていないが、本丸跡と思われる長城の小平地に城跡碑と大己貴神を祀る権現社が建立されており、ここから景色を眺望することができる。また南東に知林ヶ島と小島、東側に鹿児島湾を隔てて大隅の連山、北東には狼煙をあげる桜島などが一望できる。旧暦9月19日の権現社の例祭には近在から多くの人出で賑わうことになる。

アクセス[編集]