慈光院 (大和郡山市)
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慈光院(じこういん)とは、現在の奈良県大和郡山市小泉町865に存在する寺院である。
概要[編集]
江戸時代前期から中期に差し掛かる寛文3年(1663年)、小泉藩の第2代藩主・片桐貞昌が父の初代藩主・片桐貞隆の菩提を弔うため、京都大徳寺の玉舟を開山に招聘して創建した寺院である。貞昌は豊臣秀吉に仕えて賤ヶ岳七本槍で知られる片桐且元の弟・貞隆の子であり、また茶道石州流の祖としても名高い。寛文5年(1665年)には江戸幕府の第4代将軍・徳川家綱の茶道師範に就任している。
貞昌が建立した慈光院は、寺院としてより、大名茶人としての文化的な側面が色濃く反映されている。書院をはじめ、茶室など大和平野を借景とした庭園で当地は知られている。入母屋造、茅葺きの素朴なたたずまいを見せる書院の内部に上の間、中の間、下の間があり、上の間は大名、中の間は家老や住職が席を占めることになっていたという。書院の北東隅にある茶室は二畳台目の本席に二畳の控えの間付きで、主人床の席として知られる江戸時代中期の代表的な茶室である。書院の縁先には「角ばらず」「独座」「女の字」と名付けられた3つの手水鉢があり、書院と茶室は国の重要文化財に、手水鉢は付指定となっている。
書院の庭園は枯山水で、石組を用いず、白砂を前にした大刈込みを配しただけのものである。大和平野を一望に収める雄大な借景が見事であり、大名茶人の庭園らしい風格があり、これは国の史跡・名勝に指定されている。
寺の楼門は片桐且元の居城であった摂津茨木城の楼門を移したものであると言われている。