愛知県立本郷高等学校

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愛知県立本郷高等学校(あいちけんりつほんごうこうとうがっこう)とは、かつて愛知県北設楽郡東栄町大字本郷に存在した県立高等学校。

概要[編集]

1948年に北設楽郡の7町村(振草村・御殿村・本郷町・下川村・園村・豊根村・富山村)によって結成された学校組合立の本郷高等学校として開校。1950年に愛知県へと移管され、県立高校となった。

ピーク時には全校で400人以上の生徒が在籍していたが、過疎化によって生徒数が減少。学校存続のための取り組みとして、校内の図書室を地域住民に開放するという非常に珍しい取り組みを行った。寄宿舎も有しており、1991年に改築工事も行われたが入寮生減少で2000年に閉鎖された。

2000年に県立新城東高校と併合され、同校の分校(新城東高校本郷校舎)となる。しかし分校格下げ後も生徒数減少は止まらず、最後の新入生となった2005年度入学生は40人の募集に対して僅か8人であった。結局2006年度以降は生徒募集を行わず、2005年度入学生が卒業した2008年3月を以て閉校した。

閉校後[編集]

2008年の閉校時、北設楽郡内唯一の県立高校の田口高校へは直通の通学バスが無く、東栄駅からJR飯田線で通学できる隣県の天竜区佐久間高校への東栄町からの進学者が増えたが[注 1]、田口高校も志願者数の少なさには変わりなく、おでかけ北設で直通バスが設定された後の2014年より、生徒数確保のため町立東栄中学校が田口高校の連携型中高一貫校に加わった途端、佐久間高校への志願者が減り、佐久間高校も北区浜松湖北高校の分校となった。なお、1970年代に県境特例で本郷高校への進学者も少なくなかった天竜区の佐水地区では、間近に本郷高校の分校化と廃校を見てきたため、佐久間高校の分校化を経た廃校を危惧する意見も少なくなかった。

跡地利用[編集]

2012年に校舎の敷地・建物を東栄町が譲り受けた。東栄町は高校の校舎を解体し、跡地へ東栄町立東栄小学校を本郷万場から移転する形で建設した。

1991年に改築工事を行った寄宿舎は2015年にとうえい温泉 はなまつりの湯の施設へ転用された。一方、管理棟は2017年に解体された。

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  1. 新城市・北設楽郡と天竜区佐久間町・水窪町は相互に県境越えの公立高進学ができる特例がある。