徐詳

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徐 詳(じょ しょう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将政治家子明(しめい)[1]孫権家臣

生涯[編集]

揚州呉郡鳥程県の出身[1]。孫権が車騎将軍に就任した際に胡綜是義と共に国政や軍事の機密事項の処理を任された[1]217年の時点で官職は都尉であったが、この年に孫権が曹操に降伏する際に使者としての役割を果たした[1]222年夷陵の戦いでは胡綜と共に徴兵を務めている[1]229年に孫権が皇帝即位すると胡綜と共に侍中、さらに偏将軍に任命されている[1]。没年不明で胡綜より先に死去した[1]

陳寿は「しばしば使者として立派にその役目を果たした」と評している[1]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 小出『三国志武将事典』P311

参考文献[編集]