徐栄 (後漢)
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徐 栄(じょ えい、? - 192年)は、中国の後漢末期の武将。
生涯[編集]
幽州玄菟郡の出身[1]。董卓に仕え、董卓が政権を掌握すると公孫度と幼馴染だったことから彼を遼東郡太守に推挙した[1]。190年に各地の諸侯により反董卓連合軍が起こると、徐栄は滎陽県汴水で曹操・鮑信軍と遭遇したため、これを撃破し衛茲・鮑韜を討ち取った[1]。しかし曹操が寡兵ながら奮戦したため、容易には落とせないと判断して帰還している[1]。その後、梁県で孫堅を撃破し、頴川太守の李旻を生け捕って煮殺した[1]。
192年に董卓が王允・呂布によって暗殺されると、王允に従って胡軫と共に李傕討伐に参加するが敗北して戦死した[1]。
『三国志演義』では李儒の作戦に従って曹操を破り、曹操に矢を当てて後一歩のところまで追い詰めるが、曹操救援に駆けつけた夏侯惇により槍で突き殺された。