幸田孝之
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幸田 孝之(こうだ たかゆき、? - 天正11年4月18日(1583年6月8日))は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。通称は彦左衛門(ひこざえもん)[1]。
生涯[編集]
織田信孝の乳母の子で[1]、信孝とは乳兄弟の関係に当たる。永禄11年(1568年)2月に信孝が神戸具盛の養子になった際に補佐として織田信長から配属された[1]。以後は信孝の老臣として伊勢北部に滞在し、天正9年(1581年)に神戸氏の旧臣が反乱を起こした際には鎮圧を担当した[1]。
信長の死後、信孝が羽柴秀吉と対立を深めた際、秀吉からの調略を受けるが信孝に対する忠義を選び、秀吉軍の稲葉一鉄や氏家氏らに攻められて戦死した[1]。なお、秀吉が信孝の人質である坂氏夫人らを処刑した際に孝之の母(すなわち信孝の乳母)も一緒に殺害された[1]。