常隆山佳広
ナビゲーションに移動
検索に移動
| ||||
---|---|---|---|---|
基礎情報 | ||||
四股名 | 高見→廣見山→常隆山 | |||
本名 | 高見 佳広 | |||
生年月日 | 1940年4月3日(84歳) | |||
出身 | 北海道札幌市 | |||
身長 | 172.6cm | |||
体重 | 75kg | |||
所属部屋 | 立浪部屋 | |||
得意技 | 左四つ、櫓投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東三段目56枚目 | |||
生涯戦歴 | 93勝108敗(27場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1957年1月場所 | |||
引退 | 1961年7月場所 | |||
備考 | ||||
2018年4月24日現在 |
常隆山 佳広(じょうりゅうざん よしひろ、1940年4月3日- )は、北海道札幌市出身、立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は高見 佳広(たかみ よしひろ)。身長172.6cm、体重75kg。最高位は東三段目56枚目(1960年5月場所)。
来歴[編集]
1957年1月場所に第36代横綱・羽黒山の立浪部屋から初土俵。当初は本名の高見をそのまま四股名としていた。翌3月場所に序ノ口で4勝4敗(1960年5月場所まで、幕下以下の出場回数は1場所8番とされていた。)を挙げ、1場所で序二段昇進。1960年3月場所に三段目に昇進。この間、四股名を1959年3月場所に廣見山(ひろみやま)と、1960年1月場所に常隆山と、それぞれ改名した。軽量が災いし、三段目中位の壁を打ち破れず、東三段目106枚目に在位した1961年7月場所で3勝4敗としたのを最後に廃業。
エピソード[編集]
自身の廃業から半世紀近く経過してから開設された大相撲のデータベースサイト・「相撲レファレンス」に掲載された際に、現役後期の四股名を第19代横綱・常陸山谷右エ門と同じ常陸山と誤記されていることが発見された。ちなみに横綱常陸山は入間川部屋→出羽海部屋と出羽海一門に対し、自身は立浪部屋など、常陸山との関連性は一切ないとされる。
主な成績[編集]
- 通算成績:93勝108敗(27場所)
- 三段目在位9場所・序二段在位16場所・序ノ口在位1場所
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1957年 (昭和32年) |
(前相撲) | 東序ノ口26枚目 4–4 |
東序二段118枚目 6–2 |
x | 西序二段59枚目 1–7 |
東序二段76枚目 4–4 |
1958年 (昭和33年) |
西序二段68枚目 3–5 |
東序二段73枚目 5–3 |
西序二段40枚目 2–6 |
東序二段48枚目 4–4 |
東序二段45枚目 6–2 |
東序二段19枚目 4–4 |
1959年 (昭和34年) |
東序二段19枚目 1–7 |
西序二段27枚目 3–5 |
西序二段33枚目 4–4 |
東序二段28枚目 3–5 |
東序二段36枚目 4–4 |
西序二段34枚目 5–3 |
1960年 (昭和35年) |
西序二段12枚目 5–3 |
東三段目84枚目 5–3 |
東三段目56枚目 2–6 |
東三段目70枚目 3–4 |
西三段目85枚目 3–4 |
東三段目102枚目 3–4 |
1961年 (昭和36年) |
西三段目114枚目 5–2 |
西三段目70枚目 3–4 |
東三段目84枚目 2–5 |
東三段目106枚目 引退 3–4–0 |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
出典[編集]
- 月刊「相撲」(ベースボール・マガジン社) - 昭和36年3月号(春場所展望号) 巻末
- 相撲レファレンス - 常陸山 力士情報