山田宇吉郎

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山田 宇吉郎(やまだ うきちろう、慶長元年(1596年)- ?)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。父は隼人、祖父は上野介

略歴[編集]

祖父の上野介、父の隼人はいずれも石田三成に仕えた家臣で、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで三成が敗れ、その居城である佐和山城東軍に落とされたが、この落城の際に守備をしていた上野介は子の隼人と孫の宇吉郎に脱出するように命じ、両者は脱出したという[1]。なお、この落城の時に宇吉郎は5歳だったとある[2]

大坂の陣で父は豊臣氏に属して戦死しているが、宇吉郎は生き延びている。これに関しては宇吉郎が弓矢の道に疎く、また浪々の身であった際に何らかの事故にあっていて豊臣方に加わらなかったとある[3]

その後、総州の流山に逃れて名も喜庵(きあん)と改め、武士を捨てて医師になり、元和2年(1616年)5月にかつて自らが体験した佐和山城の落城について書き記した『佐和山落城記』を書き遺した[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b 安藤「石田三成のすべて」P213
  2. 五歳の倅・宇吉郎を背に負ひ(『佐和山落城記』)
  3. 『佐和山落城記』

参考文献[編集]