山崎正
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山崎 正(やまざき ただし、1944年〈昭和19年〉1月1日[1][2] - 2023年〈令和5年〉6月25日[1])は、日本の男性アナウンサー。
プロフィール[編集]
略歴[編集]
中野区立中野東中学校(当時・中野区立中野第三中学校10期生)[4]、日本大学第二高等学校を経て、日本大学経済学部卒業[3]。既婚者で長男あり[1]。
1966年(昭和41年)、仙台放送にアナウンサーとして入社[1]。1969年(昭和44年)、中京テレビにアナウンサーとして転職。1973年(昭和48年)6月15日、テレビ朝日にアナウンサーとして中途採用入社[3]。主にニュース番組、スポーツ実況(大相撲、プロレス、マラソン、五輪、競馬など)を担当[1]。ニュースもしっかり読める報道からも信頼厚いアナウンサーとしてテレビ朝日関係者からも評された[1]。2004年(平成16年)1月31日、テレビ朝日を定年退職[5]。その後はフリーアナウンサー、相撲評論家(東京相撲記者クラブ会友)、日本記者クラブ個人会員として活動[1][2]。
2019年(平成31年)1月、小脳出血で東京医科大学病院に入院後、高次脳機能障害で歩行困難となり東京都内の24時間体制看護療養施設で療養生活[6][7]。2022年(令和4年)6月、肺炎で入院し、2023年(令和5年)1月には新型コロナウイルスに感染し後遺症により免疫力や体力が低下し、ほぼ寝たきり状態になり、2023年(令和5年)6月25日18時52分、肺炎による呼吸不全のため東京都内の介護施設で死去[1][8][9][6]。79歳没。
テレビ朝日時代の担当番組には『日本歌謡大賞』『ワールドプロレスリング』『大井競馬中継』『大相撲ダイジェスト』『夕刊ニュース』など。
出演番組[編集]
テレビ朝日[編集]
- 日本歌謡大賞(1973年 - 1976年)司会
- ワールドプロレスリング(1974年 - 1982年)実況
- 大相撲ダイジェスト(1974年 - 2003年9月)司会
- 大井競馬中継(1975年 - 1980年)実況
- 夕刊ニュース(1975年 - )キャスター
- モスクワオリンピック(1980年)実況
- ボストンマラソン(1984年 - 1987年)実況
- ソウルオリンピック(1988年)実況
- バルセロナオリンピック(1992年)女子マラソン、レスリング、自転車など実況
フリー[編集]
- 東京都議会 広報番組(テレビ東京)司会
- ごはんミュージアム(千葉テレビ放送)司会
- 働き方新発見!(Act On TV)キャスター
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f g h “大相撲ダイジェスト司会 山崎正さん死去 79歳 信頼厚い元テレ朝アナウンサー”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年6月30日) 2023年6月30日閲覧。
- ↑ a b c “山崎 正”. 圭三プロダクション. 圭三プロダクション. 2016年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日確認。
- ↑ a b c “山崎正”. テレビ朝日. テレビ朝日. 2004年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日確認。
- ↑ 中野三中 同窓会総会と創立61周年公演会のお知らせ(PDF)
- ↑ “ありがとう、山崎さん”. テレビ朝日. テレビ朝日 (2004年1月27日). 2004年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日確認。
- ↑ a b “山崎正アナが死去、79歳 元テレ朝「大相撲ダイジェスト」”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2023年7月1日) 2023年7月1日閲覧。
- ↑ 「大相撲ダイジェスト司会 山崎正さん死去 元テレ朝アナウンサー 呼吸不全で」『スポーツニッポン』2023年6月30日。
- ↑ “山崎正さん死去 元テレビ朝日アナウンサー”. 時事ドットコムニュース (時事通信社). (2023年6月30日) 2023年6月30日閲覧。
- ↑ “元テレビ朝日アナウンサーの山崎正氏死去、79歳 大相撲ダイジェストを約30年担当”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年6月30日) 2023年6月30日閲覧。