山家藩
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山家藩(やまがはん)は、江戸時代を通じて丹波国に存在した藩である。藩庁は山家陣屋。藩主家は外様大名の谷氏。石高は1万6000石→1万石。現在の京都府綾部市山家に存在した。
概要[編集]
この藩の初代藩主の谷衛友は豊臣秀吉に早くから仕えた戦国武将で、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属したが消極的な態度に終始したため、戦後は徳川家康より所領安堵を受けて、ここに山家藩が立藩した。所領は何鹿郡に1万6000石で、山家に陣屋を構えていた。
寛永4年(1627年)に衛友が死去し、4男の谷衛政が第2代藩主となる。この際に一族の谷衛冬に1500石、谷衛之に2500石、谷衛清に2000石を分与したため、山家藩は1万82石、何鹿郡13村の所領となった。以後、特に藩政に特筆するところもなく、13代続いて明治維新、廃藩置県を迎えて山家藩は消滅した。
この藩は山がちな所領のために耕地は少なく、山林からの収入が藩財政を支えていた。しかしそれだけでは賄いきれず、丹後国との国境に近い黒谷の紙を元禄年間に代官・十倉十右衛門が奨励したことから製紙業が栄え、後に藩もこれに資金を援助して技術を改良するなどの手厚い保護政策により京都にまで売り出されるようになり、藩財政が潤う一因となった。
歴代藩主[編集]
- 谷家
外様、1万6000石→1万石