小笠原弥六

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小笠原 弥六(おがさわら やろく、? - 天正16年7月25日1587年8月28日))は、戦国時代室町幕府後北条氏の家臣。小笠原元清(小笠原充康)の子。兵部少輔。兄に元続、甥に康広がいる[1]

生涯[編集]

祖父・小笠原政清の娘・南陽院殿(すなわち元続の叔母)は、伊勢盛時(北条早雲)に嫁いで北条氏綱を生んでおり、この縁で当初仕えていた将軍・足利義澄管領細川高国が共に没落した後に従兄弟の北条氏綱を兄・元続と共に頼ることになる。氏綱を頼ったのは天文7年(1538年)頃と見られている。氏綱からは幕府との取次として使われている[1]

天正16年(1587年)7月25日に死去した[1]。生年は不明であるが、それなりの高齢だったと思われる。

脚注[編集]

  1. a b c 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P143

参考文献[編集]