小田軍記
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概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者や成立年代については不詳。巻末に慶長7年(1601年)の佐竹義宣の出羽国秋田藩への減移封が記録されているので、この後ではないかと推定される。ただ、これについては巻末の「小田軍鑑後の目録」というもので言及しており、本文とは直接関係ないので、本文と同時に書かれたかどうかについて疑問視されている。
本文自体は天正5年(1577年)の下妻城の豊田治親の滅亡が最後になっているため、少なくともこれ以後に書かれたことは確実である。
内容[編集]
『不死鳥』と称された常陸国の戦国大名であった小田氏治の滅亡に至る天正期の合戦について描かれている軍記である。全5巻。
佐竹義重との戦いを特に詳しく描いており、前述のように小田氏が天正2年(1574年)2月をもって滅亡した後、3年後の豊田氏滅亡までを描いている。
ただ、史料性としては以下の点からかなり疑問視される。
- 佐竹義重の諱が「義信」になっている[注 1]。
- 真壁氏幹の法号は「道夢」であるが、この軍記では「道無」とされている。
- 小田氏滅亡に際し、氏治は自害し、その子の守治は生死不明になったとしている[注 2]。