寺井融

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

寺井 融(てらい とおる、1947年[1] - )は、ジャーナリスト[2]。元・民社党本部職員、産経新聞記者。

経歴[編集]

北海道斜里郡小清水町で生まれ、札幌市で育つ。札幌光星高校を経て[3]中央大学法学部卒業[1]。大学1年生[4]の1967年に日本民主社会主義学生同盟(民社学同)の結成に参加し、副委員長を務める[5]。19歳の終わりに民社党に入党[4]。大学卒業後の1971年に民社党本部に入り、組織局に配属[5]。その後、月刊誌『かくしん』編集部長[6]、広報局次長、総務委員会事務統括を務める[7]。1994年の新進党結党の裏方責任者を務め[8]、結党後は新進党広報企画委員会事務局長を務める[7]。しかし、新進党が住専問題で行ったピケ戦術が議会制民主主義の否定であること、幹部が自党を「この党は」と言うような集団にはいられないと思ったことから、1年3ヶ月で退職[3]西村眞悟衆院議員政策秘書を3年3ヶ月務めた後[5]、2000年1月に産経新聞社に入社[9]。東京本社社会部記者、総合企画室[6]、「ウェーブ産経」事務局などを経て、2007年8月に退社。2007年10月時点で日本大学大学院博士前期課程修了[9]

月刊みんよう文化』編集次長[1]、NPO法人アジア母子福祉協会常務理事[6][10]政策研究フォーラム『改革者』編集委員[6]、同評議員[9][10]ロングステイ財団広報委員[9]、同政策審議委員[7]、季刊誌『ロングステイ』編集委員[10]内外ニュース社世界と日本』編集長、公益財団法人富士社会教育センター政治専科・労働専科客員研究員[7]、一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員なども務める[10]。また尚美学園大学や中央大学の兼任講師を務め[9][10]、ジャーナリズム論、新聞・出版論、文章表現論などを担当した[1]

2018年時点でNPO法人アジア母子福祉協会監事、政策研究フォーラム『改革者』編集委員、ロングステイ財団『ロングステイ』編集委員、公益財団法人富士社会教育センター政治専科・労働専科客員研究員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員、よみうり文化センター川越「書く力をつける」講師などを務める[1]

2021年時点でNPO法人アジア母子福祉協会監事、公益財団法人富士社会教育センター客員研究員、政策研究フォーラム顧問、一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員、友愛労働歴史館調査研究員などを務める[11]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『拝啓・動労国労殿――現地取材による最前線レポート』(鷹書房、1976年)
  • ミャンマー百楽旅荘』(三一書房、1996年)
  • 『朝まだきのベトナム』(制作同人社、発売:星雲社、1999年)
  • 『サンダル履き週末旅行』(文、郡山貴三写真、竹内書店新社、発売:雄山閣、2003年)
  • 『裏方物語』(時評社[Jihyo books]、2007年)
  • 『民社育ちで、日本が好き――"政党本部職員、新聞記者、大学講師"経験者の実感録』(展転社、2015年)
  • 『本音でミャンマー――もうこの国の建前論はいらない』(カナリアコミュニケーションズ、2016年)
  • 『体験と提案 とおる政治覚書――政党、鍛錬のすすめ。僕の「車中八策」』(桜町書院、2020年)
  • 『続 民社育ちで、日本が好き――父の厳命、母の杞憂』(展転社、2021年)

共著[編集]

  • アウン・サン・スー・チーはミャンマーを救えるか?』(山口洋一共著、マガジンハウス、2012年)
  • 『労働運動用語事典――活動家必携』(逢見直人編著、荒木詩郎、井上昌弘、竹詰仁、寺井融、間宮悠紀雄執筆、富士社会教育センター、2012年)
  • 『日本語を書く。』(中島孝志共著、ゴマブックス、2018年)

出典[編集]

外部リンク[編集]