宋 謙(そう けん、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将。孫策・孫権の家臣。
孫策の時代からの家臣で、孫策の江東平定においては劉繇攻めに従った[1]。孫権の時代には合肥の戦いに参加して張遼の前に敗走する[1]。222年の夷陵の戦いにも参加して敗走する劉備が逃げ込んだ白帝城を攻撃するよう陸遜に求めたが容れられなかった[1]。
『三国志演義』では第53回に登場。方天画戟の使い手で209年に孫権が合肥を攻めた際に楽進の攻撃を受けるが、その最中に李典の弓で射殺されるなど、史実より10年以上も前に亡くなっている。