孫邵
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孫 邵(そん しょう、163年 - 225年)は、中国後漢末期から三国時代の呉の政治家。字は長緒(ちょうしょ)[1]。呉の初代丞相[1]。なお、孫姓であるが孫権とは何の血縁関係も無い。
生涯[編集]
青州北海郡の出身[1]。身長は8尺あり、最初は孔融に仕えたがこの際に孔融から「朝廷に立つべき才」と賞賛された[1]。次に劉繇に仕えたが、劉繇が孫策に敗れ、孫権の代になると呉に仕え、廬江郡太守・車騎長史などを務めた[1]。221年には張昭を差し置いて呉の初代丞相となる[1]。しかし張温と曁艶に讒言され一時職を追われ、後に復職した[1]。225年に63歳で死去。後任の丞相には顧雍が就任した。
呉の初代丞相でありながら正史に伝が無い[1]。これは讒言した張温の派閥に韋昭が属していて、その韋昭が『呉書』に伝を書かなかったためとされる[1]。
『三国志演義』には登場しない。