李 術(り じゅつ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。李 述とする場合もある[1]。
豫州汝南郡の出身[1]。孫策に仕えてその上表により廬江郡の太守に任命される[1]。曹操配下の揚州刺史であった厳象を攻め殺すなどしたが、200年に孫策が死去すると後継者の孫権に従わずに反乱を起こす[1]。孫権は直ちに討伐軍を送り、李術は曹操に支援を求めたが拒否され、孫権軍に敗れて殺され晒し首となった[1]。