孫 弘(そん こう、? - 252年)は、中国の三国時代の呉の武将。
呉の官吏で中書令の地位にあった[1]。張昭の息子である張休を孫権に讒言して殺害させたこともある[2]。孫権が重病になった際、皇太子の孫亮の少傅に任命された[1]。252年に孫権が危篤になると、孫弘は諸葛恪・孫峻・滕胤・呂拠と共に後事を託された。そして崩御すると不仲だった諸葛恪を殺害しようとして逆襲され、謀殺された[1]。