呂拠
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呂 拠(りょ きょ、? - 256年)は、三国時代の呉の武将。呂範の次男。字は世議(せいぎ)[1]。妻は孫奐の娘(孫壱の妹)。
生涯[編集]
父の縁から郎に取り立てられる[1]。山越族や五渓の討伐で功を立てた[1]。孫権の崩御後は孫亮に仕え、252年の東興の戦いでも功を立てて驃騎将軍となる[1]。
256年に権力者の孫峻が死去してその従兄弟の孫綝が後継者になると呂拠は反発し、孫綝を除こうとした[1]。これに対して孫綝は文欽や唐咨・劉簒らに呂拠捕縛を命じ、さらに従兄の孫憲を江都に派遣した[1]。呂拠は対処のしようがなく、側近は魏に降るように薦めたが、呂拠は叛臣となるのを恥じて自殺した[1]。
『三国志演義』では孫綝に殺された人物として名前だけ挙げられている。