孫奐
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孫 奐(そん かん、195年 - 234年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将。字は季明(きめい)[1]。父は孫静。兄は孫暠・孫瑜・孫皎。弟は孫謙。子は孫承・孫壱・孫封・滕胤妻・呂拠妻。
生涯[編集]
孫静の4男で、219年に兄の孫皎の急死を受けてその軍勢を引き継ぎ、揚武中郎将兼江夏郡太守となる[1]。孫奐はのんびりした性格で行動も緩慢だったが、人材を適材適所に配置して職務は必ずこなしたという[1]。226年に孫権が魏に攻め入った際、孫奐は従軍してあらかじめ淮水流域の通路を遮断させて魏の将軍を3人も捕らえる功績を立てた[1]。このため孫権は孫奐を高く評価して揚威将軍に昇進させ、沙羨侯に封じた[1]。
兄の孫瑜と同じように学問も好んだ[1]。234年に死去。享年40。
『三国志演義』には登場しない。