孫瑜
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孫 瑜(そん ゆ、177年 - 215年)は、中国の後漢末期の武将。字は仲異(ちゅうい)[1]。父は孫静。兄に孫暠、弟に孫皎・孫奐・孫謙。子に孫弥・孫熙・孫燿・孫曼・孫紘。
生涯[編集]
呉郡富春県の出身[1]。孫静の次男で、恭義校尉として兵力を預かった。204年に丹陽郡の太守となるが、この際に孫瑜を慕って部下になる者が1万人を超えたと伝わる[1]。孫権に従って呉の勢力拡大に貢献するが、孫瑜は学問を好み遠征中でも書物を片時も離さない文人でもあった[1]。215年に39歳で死去[1]。
『三国志演義』では第57回に登場し、周瑜が劉備を攻めようとした際に孫権の命令で加勢に駆けつけている。