孟光
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孟 光(もう こう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の政治家・歴史家。字は孝裕(きゆう)[1]。
生涯[編集]
司隷河南郡洛陽県の出身で大尉・孟郁の一族である[1]。霊帝時代の末期に講部吏となるが、190年に董卓が長安に遷都すると益州に逃亡して劉焉に仕えた[1]。劉焉の没後は劉璋に仕え、厚遇されたという[1]。孟光は歴史研究家で『史記』『漢書』『東観漢記』の三史の研究を行なった[1]。劉備の入蜀後は劉備に仕え、議郎に任命される[1]。223年の劉備の崩御後は劉禅に仕え、大司農に昇進する[1]。
246年に劉禅が出した大赦令を批判し、後にある事件に関与したとして免職され、90歳余りという高齢で死去した[1]。
『三国志演義』では劉備の皇帝即位時と諸葛亮の第1次北伐に登場する。