太史 享(たいし きょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将・政治家。字は元復(げんふく)[1]。孫権の家臣。父は太史慈。
父ほど勇猛では無かったが政治手腕に優れていたとされている(『呉書』)。そのため孫権に仕えて尚書、呉郡太守、越騎校尉などを歴任している[1]。不服従民族だった山越族の統治も任された[1]。
『三国志演義』では第53回で父が戦死した際に登場するがまだ幼い少年のため、孫権に引き取られて養育されることになる。以後は登場しない。