大宮藩
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大宮藩(おおみやはん)は、江戸時代中期のわずかな期間だけ下野国都賀郡大宮に存在した藩である。藩庁は大宮陣屋。石高は2万石。藩主家は譜代大名の堀田氏。現在の栃木県栃木市大宮に存在した。
概要[編集]
下総古河藩主で徳川綱吉を第5代征夷大将軍に擁立することで貢献した大老・堀田正俊は、貞享元年(1684年)8月に稲葉正休のために暗殺された。死後、その遺領13万石のうち、家督と所領の大半は長男・正仲が継ぎ、正俊の次男・正虎は下野都賀郡大宮で2万石を分与され、大宮藩を立藩した。
正仲はその後、出羽山形藩や陸奥福島藩に移封されたが、元禄7年(1694年)に死去した。跡を正虎が継ぐこととなったため、正虎は福島藩に移り、大宮藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 堀田家
譜代。2万石。